原町日の出町店 店舗ブログ

「心に火をつける」

最終更新日: 2010/01/19





九州宮崎高鍋藩秋月家から9歳で上杉家に養子に入り江戸の藩邸で帝王学を学びます。



17歳で米沢藩主となりました。






去年までNHK大河ドラマでやっていた「天地人」の中で出てきた



上杉 景勝から数えて9代目ということになります。



当時、米沢藩は容易ならざる藩財政破綻の危機にありそれを立直す為に



鷹山(治憲)は、2年間江戸藩邸で様々な研究勉強をながら倹約の実験に取組ました。



19歳、満を持して、いよいよ米沢に入国する事を決意します。



時は旧暦10月(この年はうるう年で今だと1月だそうです。)



江戸から福島を抜けて板谷峠からの入国でした。



その道すがら、あまりの荒廃と通にいる人の冷ややかな目に深い絶望感に襲われ、



灰をしばらく見つめていた。



やがて鷹山はキセルを取って灰の中をかきまわしてみた。



すると、小さな火の残りが見つかった。その火の残りを見つめているうちに、



鷹山は、これだ、と思った。








それは、この残った火がひだね火種になるだろうと思ったからだ。



そして、火種は新しい火をおこす。その新しい火はさらに火をおこす。



そのくりかえしが、この国でもできないだろうか、そう思ったのだ。



僅かな家臣を伴っていた鷹山は



「その火種は誰あろう、まずここにいるおまえたちだと気がついたのだ。



…… ……おまえたちは火種になる。そして、多くの新しい炭に火をつける。



新しい炭というのは、藩士であり藩民のことだ。



それらの中にはぬ濡れている炭もあるだろう。湿っている炭もあろう。



火のつくのを待ちかねている炭もあろう。いちよう一様ではあるまい。




ましてや、私の改革に反対する炭も沢山あろう。




そういう炭たちは、いくら火吹竹で吹いても、恐らく火はつくまい。




しかし、その中にも、きっとひとつやふたつ、火がついてくれる炭があろう。



私は今、それを信ずる以外にないのだ。



そのためには、まず、おまえたちが火種になってくれ。



そしておまえたちの胸に燃えているその火を、どうか心ある藩士の胸に移してほしい。



城に着いてからそれぞれが持ち場に散って行くであろう。



その持ち場持ち揚で、待っている藩士たちの胸に火をつけてほしい。



その火が、きっと改革の火を大きく燃え立たせるであろう。」



私はそう思って、今、駕籠の中で一所懸命この小さな火を大きな新しい炭に吹きつけていたのだ。(灰の国で)





童門 冬二著 「上杉鷹山の経営学」より


とっても、面白い本でした。今のご時世にぴったりの内容です。


きっと貴方の会社の戦略に役に立つはず・・・






この入国間際の鷹山の気付きと命懸けで一緒にやろう!



という腹心に対する信頼を心から伝えることで供の家臣たちの心を鷲掴みにしました。

上記の内容は、2010/01/19当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

上杉 鷹山に学ぶ

最終更新日: 2010/01/18





「小林 繁 氏が逝去されました。」アナウンサーの言葉に思わず絶句!!






「反骨のヒーロー」


20代30代の方々は、ご存じないかなぁ?



1970年代ジャイアンツのエースとして独特のサイドスローでカッコいい



ストイックなピッチャーでした。



私は高校生。よく小林の投げ方を真似していました。








当時のプロ野球選手のプライベートや公式の場に出る時のファションセンスは



スゲーー  ダサくて、なんであんな格好しているのかな?


なんて思っていましたが、



小林はファッションセンスも抜群でとってもダンディなナイスガイでした。



江川 卓がジャイアンツに入るゴタゴタ劇の犠牲になってしまった小林・・・



結果トレードという形で阪神タイガースへ移籍



ジャイアンツ戦は「絶対に打たせない!」



粘りの投球を思い出します。



ご冥福をお祈りします。











さて、今日は「上杉 鷹山」です。








 最近では、日産自動車のカルロスゴーン氏や



キャノンの御手洗氏、ダイエーの元CEO林文子さん等が、



組織風土の改革を実施してきた名経営者の例としてあげられますが、



今を遡る江戸時代にも、組織風土の改革を実践した日本人がいました。



その人の名は、“上杉鷹山“です。


何度かこのブログのなかにも登場してもらっています。



私が歴史上の人物で最も尊敬して目指す人です。






 
 ジョン・F・ケネディ元アメリカ大統領は、史上最年少の大統領に就任した際、



日本人記者団の「あなたが最も尊敬する日本人は誰ですか」という質問に答えて、



即座に、「それはウエスギヨウザンです」と答えたという。



ところが残念なことに、日本人記者団の方が上杉鷹山という人物を知らず、



「ウエスギヨウザンとは一体誰だ」と互いに聞きあったというエピソードがあります。



恐らく上杉謙信の倅だろう???だったそうです。











ケネディは、日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、



民主的に政治を行い、そして「政治家は潔癖でなければならない」といって、



その日常生活を、文字通り一汁一菜、木綿の着物で通した鷹山の姿に、



自分の理想とする政治家の姿をみたのでした。




 
 上杉鷹山が、藩主として米澤藩の藩財政改革を行ったのは、



江戸時代における不況の時期で、江戸時代の三大改革のひとつである



“寛政の改革”が行われた寛政の時代です。




 寛政3年(1791)上杉鷹山は、二度目の改革を行った。



彼は単にバランスシートの貸方借方の赤字を克服しただけでなく、



むしろ、人の心の赤字を克服した。



そのために、藩の財政を再建するために、絹織物の生産など新たな産業の振興策をとりながら



同時に「そういうことが行えるのも結局は人が決めてだ」という観点に立って、



「人づくり政策」をもうひとつの重要な柱としました。



 心の赤字を克服するということは、他人に対してもっと関心を持ち、



弱い人や苦しんでいる人間に優しさやいたわりや思いやりを注ぐことである。



「人間というのは、もともとその性は善である。しかしその善が表に現れないのは、



容れ物である環境が劣悪であるからである。



従って、自分の行う経営改革としては、そのような基盤整備をしないわけにはいかない」



という信念をもって具体的には次のよな改革を推し進めました。








明日は、鷹山が江戸から米沢に入国した時の「感動のエピソード」をお伝えします。



一部Webより

上記の内容は、2010/01/18当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

『遼雄』初対面~遼少年6年生の作文

最終更新日: 2010/01/16





おはようございます。



昨日は、日本一有名な高校球児 菊地雄星と日本一のプロゴルファー石川 遼が初対面をしたようですね。







昨日のブログでイチロー少年6年生の時の作文を紹介しました。



今日は、石川 遼が小学校6年生の時の作文を紹介します。



昨日の内容を思い出しながら読んでみて下さい。








『将来の自分』


小学校6年生 石川遼



二年後…中学二年生、日本アマチュア選手権出場。



三年後…中学三年生、日本アマチュア選手権(日本アマ)ベスト8。



四年後…高校一年生、日本アマ優勝、プロのトーナメントでも勝つ。



六年後…高校三年生、日本で一番大きなトーナメント、日本オープン優勝。



八年後…二十歳、アメリカに行って世界一大きいトーナメント、マスターズ優勝。



これを目標にしてがんばります。マスターズ優勝はぼくの夢です。



それも二回勝ちたいです。みんな(ライバル)の夢もぼくと同じだと思います。



でも、ぼくは二回勝ちたいので、みんなの倍の練習が必要です。



みんなが一生懸命練習をしているなら、ぼくはその二倍、一生懸命練習をやらないとだめです。



ぼくはプロゴルファーになって全くの無名だったら、



「もっとあのときにこうしていれば…」とか後悔しないようにゴルフをやっていこうと思います。



来年には埼玉の東京GCで行なわれる「埼玉県ジュニア(中学の部)」で優勝したいです。



今は優勝とか関係ありません。



中学生になってからそういうことにこだわろうと思います。



高校生で試合に優勝すると、外国に招待してくれます。



その試合で世界から注目される選手になりたいです。



ぼくは勝てない試合には今は出ません。



ぼくの将来の夢はプロゴルファーの世界一だけど、世界一強くて、世界一好かれる選手になりたいです。


https://image.blog.livedoor.jp/mztnmco/imgs/a/8/a8b5e9dd.jpg







皆さんもTVなんかでこの文章を目にしているのでは?



いかがですか?



イチロー少年が小学校6年生の時と見事に一致しませんか?



そして、驚きは18歳の今迄、自身が書いた『将来の自分』を全て成し遂げ実現しているところです。



やはり遼少年も練習の為に友達と遊びに行く事も我慢して練習に打ち込んでいたそうです。





この作文の最後のくだり・・・



『ぼくの将来の夢はプロゴルファーの世界一だけど、世界一強くて、世界一好かれる選手になりたいです。』



これをプロになった今、実践してまさに、日本国中が遼君の活躍を応援していますよね。





「20歳までにマスターズ優勝」



やってくれそうな気がします。

上記の内容は、2010/01/16当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

イチロー少年の作文

最終更新日: 2010/01/15





天才と言われる大リーグ


シアトル・マリナーズ イチロー






最初から天才として生まれ天才として野球を始めたんでしょうか?


昨年3月WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)でのイチローの準決勝までの不調・・・



やはり、「流石のイチローも人間なんだ・・・」と思った方が多いでしょう。




しかし、決勝韓国戦



これぞイチローがイチローたるゆえん?



延長10回。野球の神様は最高の舞台を設定しましたね。







先シーズン終了後、あるTV番組で韓国戦最後の打席の心境を話していました。




野球人生で「あれ程、しびれたことはなかった。」そうです。



あのイチローがです。



しかし、ファールで粘った確か5球目だったと思います。



ワンバウンドしそうな切れの良いスライダーをファールした。



あれが、イチローは「神が降りた。視界が開けた。」と言っています。


https://www.youtube.com/watch?v=KzZMotE-0i4





レギュラーシーズン前人未到の9年連続200安打を達成したのも



勝負を決めた韓国戦 決勝安打を放った一球前のファールだったそうです。




イチローの原点はどこにあるのか?





ご存知の方もいると思います。



小学校6年生の鈴木一朗少年の作文を紹介します。









僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。



そのためには、中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。



活躍できるようになるためには練習が必要です。



僕は3才の時から練習を始めています。



3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。



だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。



そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。



そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。



そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西部ライオンズです。



ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。



僕が自信のあるのが投手か打撃です。



去年の夏、僕たちは全国大会にいきました。



そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、



打撃では県大会4試合のうちホームランを3本打ちました。



そして、全体を通した打率は、5割8分3厘でした。



このように自分でも納得のいく成績でした。



そして僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。



だから、この調子でこれからも頑張ります。



そして、僕が一流選手になって試合に出られるようになったら、



お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも夢の一つです。



とにかく一番大きな夢はプロ野球選手になることです。



鈴木 一朗










「プロ野球選手になる」という明確な目標を持ち、そのために何が必要かを理解し、それを実行している。



皆さん12歳の少年ですよ!



既に小学校6年で自分の将来を「鮮明に想い描いて」いました。



「夢」なんて甘っちょろいものではない。これは「野望」



それを実現するために「友達と遊ぶ」という子供にとって、


いや大人にとっても最も魅力的な誘惑に打ち勝っている。



イチローにとってこれだけの犠牲を払う価値が野球にはある。それほど野球が好きなんですね。



その大好きな野球を最高の場で最高の仲間たちと最高の敵を相手にできる。



これ以上の幸福、そして興奮があるでしょうか。



それを味わう権利をイチローは努力して努力して勝ち得た。



その努力に裏打ちされたのが彼の言動だ。世界で一番野球を愛している男だけに許された言動なんでしょうね。







ここまで読んでくれた貴方!



「あと10年以上前にこんな話に出会っていればなぁ・・・」なんて思ったでしょう?




自分自身に対して、子どもに対して、仕事の中で・・・



大丈夫!




今がスタートです!




今日も元気に「さーやるぞ!」










明日は、遼君の作文を紹介します。

上記の内容は、2010/01/15当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

政策発表会議『主体変容』

最終更新日: 2010/01/14





 



 昨日は、2010年我社の今年1年をどんな考え方で運営していくか。



 年初の「政策発表会議」でした。



先ず、私が前年の振返り反省点そして今年の課題・・・



と、進めて





各店の拠点ビジョン(在るべき姿)、ミッション(使命・役割)、行動指針



そして、各部門のビジョン、ミッション、行動指針をまとめてもらい発表しました。








今年は例年と違い拠点毎、部門毎にこれを考えてもらうことで自分達の心構えや



やるべき事が、ハッキリと観えたようです。



私が常に社員の皆さんに発信していることが今回の取組で明確に伝わったようです。






なんか、とっても嬉しくてワクワクする気持ちになりました。






さて、今日は「主体変容」という言葉をプレゼント!




心が 変われば 行動が変わる


  行動が 変われば 習慣が変わる


  習慣が 変われば 人格が変わる


  人格が 変われば 運命が変わる 






ヤンキースの松井秀喜選手の座右の銘だそうです。



私の好きな教師「原田隆史」さんも、



『主体変容』という言葉で表現しています。



とても熱い先生です。





要は、運命を切り開くのは、会社や他人ではなく自分。



今いる自分のポジション・環境に不満があったとしても、



それは、自分が生み出した運命。



全ての源泉は自分!




自分が変わらない限り、環境や立場




そして運命は変わらない。




評価を差別と取ったり、不平不満を口に出すことで



自分が面白くないし、つまらなくなってしまう。




何より良くないのは、一所懸命やっている周りに悪影響!







もし、自分で勝手な「限界の枠」を設けてしまっているなら全くの間違い!





「昨日の自分は死んだ自分。


 今日の自分は生まれ変わった自分。」




それくらい勘違いな思い込みをして、



運命を変えてみよう!!





人生を面白くするのも、つまらなくするのも自分次第ですから。










『主体変容』



いかがですか?



自分を客観的に観て考え方を変えてみませんか?





実は、昨日の会議の中でマルッキリこの話をしました。

上記の内容は、2010/01/14当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。