原町日の出町店 店舗ブログ

挑戦こそが勝利

最終更新日: 2010/05/28



今日は、愛読メルマガより簡単に自発的に想像し、



挑戦していくメッセージをお届けします。





* 意欲の外的・内的 要素



 動機や意欲には外的な要素が高いものと内的な要素が高いものがあります。





例えば、



「人から言われたから」





「やらされている」





「強制されている」





「義務であり、役割だから」



「自分でやりたいから」





「進んでやる」





「楽しいから」





「使命だから」















「報償が大きいから」





「高い評価を得られそうだから」





「期待されているから」



「やること自体が報償(楽しいから)」





「自分に恥じない行動をしよう」





「納得いく結果を出そう」





「自分の生きる目的だから」





「自分が理想とすることにつながるから」







 前者はどうしても他律的・一時的になり、言い訳をしたり、



失敗や挫折に弱く、ストレスも感じやすい。



 後者は自発的・継続的になりますね。











感情には4つのパターンがあります。


1.諦め
 

こんな環境じゃやってらんないよ!


2.怒り


自身の不甲斐なさや相手に対する怒り


3.ビビリ


なんとか上手くやりたい。セカセカした仕草が特徴


4.挑戦


目に輝きがありブレない。












仕事やスポーツ





スポーツの中ではゴルフやテニスがわかり易く





この4つの感情を行ったり来たりするものです。





4つの感情の中で唯一勝利に導くのが「挑戦」です。




創造的・挑戦していく。



前向きになる。



やることに全て「責任と立場」を持つ形ですね。












【試して下さい】




毎日の生活の中で、応用してみましょう。







一部望月さんのメルマガより






いかがでしたか?

上記の内容は、2010/05/28当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

藤沢 武夫(ふじさわ たけお)

最終更新日: 2010/05/27









皆さんは、藤沢武夫氏をご存知でしょうか?



ご存知だとすれば余程のHonda通ですね。



 明治43(1910)年、東京生まれ。京華中学卒業後、日本機工研究所を設立。



戦後、本田宗一郎を知り、昭和24(1949)年、本田技研工業に常務として入社。



経営を担当し、技術部門を担った本田宗一郎と共に



“世界のホンダ”の基盤を創りました。








昭和39年副社長、48年には第一線から退き取締役最高顧問となり、





 58年取締役を引退。この間52年4月には藍綬褒章を受賞。



63年12月30日歿。享年78。従四位勲三等旭日章を受章。


(経営に終わりはない、著者紹介より転載)



実は、この藤沢武夫さんの存在がなければ今のHondaはありえないんです。












ホンダといえば技術者である創業社長「本田宗一郎」が看板です。




日本人の起業家で有名なのは宗一郎と「松下幸之助」くらいじゃないでしょうか?








常に自ら現場に入り、油まみれになりながら改良を重ね、




マン島レース、F1と2輪、4輪とも世界の頂点にまでの仕上げた、




破天荒な人物として知られ、多くの人に愛されてます。













でも「大企業の社長が常に自ら現場に入って大丈夫か?」って疑問が生じますが、そこは大丈夫。




ホンダの「社長」は本田宗一郎ですが、「経営者」は別にいます。





それが「稀代の策士」と謳われ、ホンダのもう一人の社長と呼ばれた藤沢武夫です。




宗一郎をたてて、常にマスコミからは身を隠して来た人物ですが、



それ程に並び称せられる人物。



彼の存在と10年、20年先を見越してたてた計画と組織作り無くしては、



我々が身を置く「世界のホンダ」、「ホンダスピリット」は存在しえなかったことでしょう。











ASIMOで注目されている本田技術研究所も本田宗一郎という天才が居なくなっても、




会社が存続するために何が必要か。また、研究者が研究者として、



自らを曲げることなく最後まで会社でやって行くには



どのような組織が必要かを考え抜いた末に、多くの障害を乗り越えて設立した組織です。




「白鶴高く翔びて群を追わず」を好きな言葉としてあげ、





沈思黙考、ホンダの危機以外は、宗一郎の裏方、影の演出家として、




引退の花道作りまで行ったのはあまりに有名。




昭和48年「社長本田宗一郎」「副社長藤沢武夫」揃っての勇退は、



鮮やかな引き際と賞賛されました。



https://www.youtube.com/watch?v=AUdIF_dJB4k





技術の本田宗一郎、経営の藤沢武夫、二人の運命的な出会いと、



希有な信頼関係、常に「世界一」をめざす壮大な夢の共有は、




ドラマチックかつロマンチック。世のホンダファンのみならず、



多くの人にぜひ知っていてもらいたい人物です。









参考文献






成功した人間の傍には必ず有能な参謀がいる。


本田宗一郎は技術の天才だったが、藤沢武夫は経営の天才だったと言われている。


もうかれこれ20年以上前にこの本を読んでいますが、感激したのは藤沢は会社を辞めた後でも


本田宗一郎への気遣いを忘れることがなかったそうです。



実際マン島TTレースへの参戦も、戦略も全て藤沢の考えだったにもかかわらず、


彼は女房役に徹し最後まで表舞台に出ようとしなかった。


彼らは一緒に会社を運営し、そしてともに勇退した。


宗一郎は25年間でただの一度も実印を見たことがなく、


経営の全てを藤沢にゆだねていた。「二人で一人前」それを最後まで守り通した二人・・。


こんなすばらしい話しが本当にあるのだなと、胸が熱くなったのを思い出します。







ホンダ関係会社に入社をすると初めての研修の前には例外なく


「経営に終わりなし」この本が課題になります。








いかがでしたか?

上記の内容は、2010/05/27当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

長嶋茂雄伝説 2

最終更新日: 2010/05/26


おはようございます。




今日は長嶋語録PART2です。




まぁ、どこまでもエンターテイメント!



お気楽にどうぞ!














・バイト青年に「今日も頑張って下さい」と言われ「今日ジャイアンツが勝つと面白いんだけどな」と返す



・はじめての還暦を迎えまして・・・、ましてや年男と言うこともありまして・・・



・バッターの心構えは3つ、集中力と小さい事に気を配る事です。



・バッティング指導「男だけについている袋を揺らさないようにして振れ」



・バッティング指導「来た球を打て!」→掛布(敵チーム阪神の選手)は見事にスランプ脱出



・ハムサンドは中身だけ食べる派



・キャンプ時、夜中にトイレに行くときは土井のお腹を踏んでトイレへ行く、


帰りも土井のおなかを踏んで布団に戻る。












・ファン「長嶋さんと誕生日同じなんですよ」、


長嶋氏「へー、で貴方の誕生日はいつんなんですか?」



・「勝負は家に帰って風呂に入るまで分からない」



・バントの格好をしながら審判に代打を告げる「バント!土井!」、


作戦が相手ベンチに見抜かれバント失敗。しかも三回もやっている



・ベンチにあった火鉢を蹴って足をねんざ。次の日の試合は足が腫れてスパイクに入らなかったため。


スパイクを切って試合に出場



・ビートたけしをゴルフに誘う、朝たけしと挨拶「今日は、ゴルフですか。誰とですか?」




・ピッチングの極意「カーブでカウントを稼いで、決め球はカーブ」















・ふぐ刺しをまとめて半皿一口でペロリ、周りの選手あぜん



・ベンチから「フォークだよ、フォーク!」の指示、敵打者はそれを見逃さずにホームランを打たれる」



・ベンチにスイカ、なぜか頂点がなかった、長嶋氏がスイカの一番美味しい所を食べた後だった。



・監督復帰の記者会見「ボクは12年間漏電していたんですよ」



・マラソンのスターターを務めるが、火薬が湿気っていたため、音が出ず、仕方なく口で「ドン!」



・ミレニアムですね、千年に一度あるかどうか分かりませんからね。



・やっぱりキャンプで育てる重きを置くべき重要な点は左のサウスポーですね。



・レストランで食事中、「ちょっと新聞社に電話してくる」しかし30分経っても戻ってこない、



探したところ別のテーブルでスパゲティを食っていた。



・レストランにて鶏肉を頼むとき「アイム チキン」




・一戸建てを買おうと契約金を下そうとしたが、どこの銀行に預けたか忘れてしまった。










・一死一塁で振り逃げを試みる




・「そうだねー。桑田君をスライディング登板させるつもりです




・営業時間前の風呂屋に行き「おじさん大変だね、客が1人もいないじゃないか」




・王のフライに勢いよく飛び出した長嶋氏、2塁ランナーを追い越しアウト



・「その~、なんていうんですか?夢のドリーム?」






まだまだあります。






近々お伝えします。

上記の内容は、2010/05/26当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

ホンダイズム

最終更新日: 2010/05/25












今日の主人公は、ホンダベルノ店元社長の大河滋氏。



大河氏は昭和42年(1967年)にホンダ入社、



創業者の本田宗一郎氏、藤沢武夫氏から薫陶を受けました。



(大河氏はその経験から藤沢武夫氏に関する本を出版しています)












大河氏が30代、昭和51年のこと、名古屋支店に配属されます。



この年、「大変な被害が予測される台風が近づいてきました」。



大河氏は部下を連れて販売店の救援へ。



暴風雨、道路は冠水。台風の驚異が販売店を襲います。





そんな中、販売店になんとか到着すると、



輸送者が、ホンダの委託展示している車を積み込んでいました。



雨は横殴り。大河さんは怒鳴った。




「新車は全部下ろせーっ!」




雨風のなかやっと積んだ運転手は納得がいかない。



「おえは誰だーっ!」



「名古屋支店の大河だ。業務命令である。新車は全部下ろせ。



そして、この店で預かっているお客様の車を積め」



「何だとーっ!」と運転手。



「新車の百台や二百台、水中に没したところでホンダは潰れん。



しかし、たった一人のお客様は、新車の百台、



二百台には替えることができない、大切な方なんだ!」








宗一郎の肝いりで世に送り出した空冷4気筒エンジン

イノシシのようなクルマで曲がってくれなかったそうです???












そう言って、預かっていたお客さんの車を積み込ませ、



ホンダが委託展示していた車は全て水没したそうです。



それから4,5日後のこと、販売店の社長とお客様が



大河氏のもとを訪れこう言ったそうです。




「今後もずっとホンダの車に乗ります。



何とお礼を言ってよいかわかりません」











実はこの指示を出すことができたのは、



大河さんが過去に苦い経験をしたことがあるからでした。



昭和43年の十勝沖地震の際、仙台支店に勤務していた大河さんは津波警報が出たので



、輸送車を使って販売店にある展示車をすべて引き揚げたのです。



すると、所長が、



「バカヤロウッ。てめえ、それでもホンダの人間か」




「こっちは命懸けで車を引き揚げてきたのに、何ですか、その言い方は」



と大河氏は喰ってかかった。




「津波が欲しがるのであれば、新車の百台や二百台くれてやれ。



おまえが守らなきゃいかんのは、新車ではなくてお客様の車だ、バカヤロウッ!」





名古屋での台風の件が落ち着くと、このことを思い出し、



仙台支店時代の所長へ名古屋での出来事を話して



「今度は判断を間違えませんでした。あの時はありがとうございました!」



と電話をした。












すると、所長が言った。




「あのな、大河。昭和三十五年にチリ地震が起きて、



太平洋に津波が襲来した時、



俺の管轄だったエリアが壊滅的な被害を受けたんだ。




その時におまえと同じことやって、



藤沢(創業時の副社長)さんに怒られたんだ。





『会社の財産を失うことは非常に心が痛む。



しかし会社にとって最大の痛手は、



会社の資産を失うことではなく、



お客様を失うことだ!なぜそんなことがわからんのか!』




と言って怒られたんだよ」








左 本田宗一郎   右 藤沢武夫











『致知』(2月号)から
https://www.chichi.co.jp/monthly/201002_index.html








今ではHonda社内でも、この記事にあるようなHondaイズム



について継承される機会が少なくなっているように思います。






我社では


「豊かなカーライフを通して関わりのある全ての人々に夢を与え続ける」


という使命を果たして行きたいと考えます。








                       一部HM関係者より


いかがでしたか?

上記の内容は、2010/05/25当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

「志なき者」は、「志ある者」に従う

最終更新日: 2010/05/24







多くの人がまるで「ピンボールゲームの球」



のような人生を送っています。







ポンと社会に飛び出たかと思うと、



あちらへ飛んでは障害物にぶつかり、逆戻り。



こちらにいっては壁にぶつかり、あらぬ方向に弾き飛ばされる。



自分の意志とは全く関係ないところで、



慌しく動き回され、疲れはてて家に帰る。







この繰り返しが人生になっているのが現実ではないでしょうか。











それもそのはず、この世の中は「志なき者が、志ある者に従う」




「目的なき人は、目的ある人についていく」ようにできているからです。




皆さん!なるほどって思いませんか?








もしあなたが使う目的のないお金を100万円持っているとしましょう。



するとテレビ、インターネット、新聞、雑誌、街角・・・



日常の様々なシーンで、お金を使うための誘惑がやってきます。



「海外旅行に行きましょう」「保険に入りましょう」



「○-Padが満を持して登場」「新製品が続々登場です」…






数限りない日常のメッセージが、



あなたの脳に「○○を買ってください」と語りかけてきているはずです。



しっかりした「夢」や「目標」がなければ、



湯水のようにお金を使ってしまう仕掛けが山のように溢れているものです。





これはお金に限ったことではありません。











時間やエネルギー、チャンス、



人間関係でも同じことが言えます。



何かの目的があって進んで、




喜んで雑用を引き受ける姿勢は次のチャンスを生みます。






まさに「頼まれごとは試されごと」です。





 しかし、いつもやっているからと惰性で引き受ける雑用は、




あなたの才能を眠らせたままにしてしまうことでしょう。









これでは、本当にやりたいことをする前に疲れきってしまいます。



「一度の出会いを大切にする人との時間」は



素晴らしい思い出や成果を生んでくれるでしょう。




 しかし、「義理」や「なんとなく」ばかりで



スケジュールを組んでしまうと、人生が「単なる挨拶」と



「たわいもない雑談」で埋め尽くされてしまいます。





これでは、もっとも大切な人との時間さえ犠牲にしてしまいかねません。






明確な夢、目標、志、意図を持ちましょう。



そのエネルギーはあなたの夢実現を応援し、



あなたの大切なものが観えて来ますよ。












【考えて下さい】



あなたの使っている「お金」「時間」「人づきあい」は、



どう意識するとあなたの夢実現や幸せに貢献するでしょうか?







                        一部望月さんのメルマガより








いかがでしたか?

上記の内容は、2010/05/24当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。