原町日の出町店 店舗ブログ

あるがままを受入れる

最終更新日: 2012/03/02





おはようございます。





今日は、禅の言葉(禅語)をお伝えします。

 

昔、ある僧が、洞山良价和尚に尋ねました。
 
 

暑さ寒さが到来した時、どのようにして、これを回避すればよいでしょうか?

 
 

洞山和尚が、答えて言いました。
 
 

寒暑のない所へ行けばよいではないか。
 
 


僧が再び、尋ねました。
 
 

寒暑のない所とは、どのようなものですか?」

 

すると、和尚が言いました。
 
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 『寒時寒殺闍黎 熱時熱殺闍黎
 
 

寒時(かんじ)は闍黎(しゃり)を寒殺(かんさつ)し、
 
 

熱時(ねつじ)は闍黎を熱殺(ねっさつ)す

 
 

闍黎=修行僧(あなた自身)、殺=なりきる
 
 

寒い時は、自ら徹して、寒さになりきり
 
 

熱い時は、自ら徹して、熱さになりきる

 
 
 
 

暑さ寒さというのは、気候から判断するだけではなく、
 
 

人間の心が、感じるものです。

 

私たちは暑さから逃れて、楽をしようとしても、
 
 

それは一時しのぎに過ぎません

 

積極的に、暑さの中で汗を流して没頭する時、暑さを忘れるのです。
 
 

暑さはもはや、問題ではなくなってきます。

 
 
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例えば、あの炎熱の甲子園での野球の選手は、
 
 

猛暑から逃れようとは、全く、思っていません。

 
 

選手が野球に打ち込む時は、暑さから全く解放されているのです。
 
(ちなみに私は高校時代に野球をしていて暑くて暑くてバテバテでした。恥)


 
 

このような解放された心こそ、実は涼しさを招いているのです。
 
 

これが解脱(げだつ)の世界です。
 
 

暑さ寒さになりきる心、禅の心がそこにあります
 
 
 
383588_273741706010323_100001234865342_841457_1035782413_n.jpg                      ボクは、カブトムシになりきっているよ!









人生では暑さ寒さを、辛さ苦しさに置き換えます。

 

私達は苦しい時、音楽やPCやTVや買い物などをして、
 
 

心を(気を)まぎらわすことをします。
 
 

今は、苦しさを感じさせない為の道具や施設が、
 
 
 
ありふれていますね。

 

昔は、そういったものは殆ど、無かったと思います。
 
 

どうしていたのでしょうか・・・?
 
 
 
 
きっと、

 

辛いなら、辛いまんまでいる 
 
 

暑いなら、暑いまんまでいる、

 
 

あるは、あるがまんまに足りている 
 
 

無いは、無いまんまで足りている

 



一時的に逃れるのでなく、ありのままに受け止め、
 
 

その中でやっていく・・・
 
 

これが、自然な暮らしかもしれませんね。
 
 317582_107015036080172_106954462752896_41032_1356092671_n.jpg                        なすがままのお父さん・・・

                                                           親父イナバウワー

                        明日の仕事は大丈夫?





いくら求めても限りはありません。

 

寂しい時は、寂しいまんま=さび 
 
 
 
侘しい時は、侘しいまんま=わび
 
 

これは「わび、さび」の日本文化に基になっています。
 
 
 



小野洋子がジョン・レノンにこの言葉を教えたそうですが
 
 
 
なかなかに日本の情緒的な感覚を伝えるのは
 
 
 
苦労をしたというエピソードがあります。
 
 
 
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この世は辛くても苦しくても、涙を流しながら、
 
 

堂々と生き抜く、自分を作り上げる為の修行の場です。
 


苦しみを通して、人は強くなり、浄化していくのでしょう。








                          今日も最後までお読み戴きありがとうございました。 

                                  金嶽さんの文章を引用しました。



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上記の内容は、2012/03/02当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

長谷川 滋利

最終更新日: 2012/03/01







おはようございます。




今日から3月ですね。




我社は、新しい期の始まりの日です。




心新たに今季の大きなテーマでもある創造再生1年間します。





さて、今日は長谷川滋利(しげとし)をお届けします。







大好きなアメリカで生き残るには




           強者ではいけない。適者でなければならない」 

 

 


                             長谷川滋利(しげとし)


 

 

 

 

 

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長谷川滋利はプロ野球オリックスの選手として活躍し、

 

 

 

アメリカ大リーグでも活躍しました。

 

 

 

とてもクレバー(頭脳的)なピッチャーでした。

 

 


オリックスが毎年アメリカでキャンプを行ううちに、

 

 


アメリカに住んでみたいと思うようになったとのことです。

 

 

 

プロ1年目の1991年には12勝し最優秀新人賞を獲得。

 

 

1995年には12勝、防御率2.89の好成績を残し、

 

 

オールスターゲームにも出場した。

 

 

星野伸之野田浩司佐藤義則らと共に1990年代の

 

 

オリックス先発投手陣を支え、1995年、1996年のリーグ連覇にも貢献した。

 

                                   Netより引用 

 



そう、イチローと共にオリックスの一時代を築きました。

 

 

 

 

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長谷川の名言の一つに

 

 


「大リーグで野球をしたいからアメリカに来たのではない。 

 

 


            アメリカに住みたいから大リーグで野球をしているんだ」 

 

 

 

この言葉を聴くと

 

 

 

「やはり、クレバーな野球選手だな。」という印象があります。

 

 

 

 

 

 

 


その長谷川が言っている言葉の中に

 

 


「大好きなアメリカで生き残るには 

 

 


      強者ではいけない。適者でなければいけない」


 

 

なるほど、思わず納得してしまう説得力があります。

 

 

 

考えてみれば、これはどこの世界にも通じることです

 

 


ただ、アメリカの大リーガーが日本に来たら

 

 

 

強くなければすぐに返されます。

 

 

 

 

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つまり、日本では即戦力として、そのチームに足りない所を

 

 

 

補って余りある活躍を要求されるのです

 

 


この言葉の本当の意味は

 

 


「大好きなアメリカで生き残るには

 

 


    強者だけではいけない。適者でなければいけない」

 


この部分だと思います。

 

 


その世界に馴染むことが大切です。

 

 



 

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長谷川はそのために、まだ大リーガーになる前に、

 

 


英語をマスターしていたとのことです。

 


イチローにもその辺はしっかり教えたようです。

 

 


日本に来た選手でも長く活躍している選手は日本語も上手です。

 

 


相撲取りもそうです。

 

 


相撲取りの場合、ほとんどが日本人と結婚して、

 

 


日本の生活に慣れ親しんで活躍をしていますよね。

 

 


309398_165887516831838_100002317723121_370982_463911015_n.jpg                       これは場違いかも・・・









郷に入れば郷に従えの格言も同じことが言えると思います。

 



長谷川はアメリカの永住権も取得して、

 

 


日米を掛け持ちで仕事も生活もエンジョイしているようです








                                   今日も最後までお読み戴きありがとうございました。



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上記の内容は、2012/03/01当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

2回目のプロポーズ

最終更新日: 2012/02/29





おはようおはようございます。





今日は、2月最終日です。




我社は、本日決算日です。




昨年3月1日から今日2月29日ですから、




まるまる大震災の中の決算です。





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さて、今日は『心が震える話』より「2回目のプロポーズ」をお伝えします。








僕のおじいちゃんは、某有名大学出身でとても頭も賢く、




 

運動神経も抜群で、小さい頃はよく勉強やスポーツなど、

 

 

 

色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。

 

 

 

しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。

 

 

 

正確に言えば、教えてもらう事が出来なくなってしまった・・・。

 

 

 

僕が高校2年生になった頃、おじいちゃんは認知症になってしまったのだ。

 

 

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今では僕の事も、実の娘の僕の母親の事も分からなくなってしまって、

 

 

 

いつも僕たちに「はじめまして」とあいさつをしてくる。

 

 

 

唯一、奥さんである僕のおばあちゃんの事は分かっているみたいだったけど、

 

 

 

ここ最近になって、おばあちゃんの事もわからなくなってしまった。

 

 

 

 

しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で懸命におじいちゃんの世話をしていた。

 

 

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今年の年初め、

 

 

 

家族みんなで集まって家でごはんを食べようとなり、

 

 

 

久々に家族全員で集まる事になった。

 

 

 

家族の誰一人分からなくなってしまって、

 

 

 

とても緊張をしているおじいちゃんに、

 

 

 

おばあちゃんが笑顔で家族のみんなを紹介していった。

 

 

 

 

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すると、

 

 

 

いきなりおじいちゃんは真剣な顔をしておばあちゃんに話し出した。

 

 

 

「あなたは本当に素晴らしいお方だ。

 

 

 

いつも素敵な笑顔で僕に笑いかけてくれる・・・

 

 

 

あなたが笑ってくれたら僕はとても幸せな気持ちになれます。

 

 

 

もし、独り身ならば僕と結婚をしてくれませんか?

 

 

 

家族全員の前でのプロポーズだった。

 

 

 

 

 

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2回目のプロポーズに、

 

 

 

涙をぽろぽろこぼしながら、

 

 

 

おばあちゃんは笑顔で「はい。」と答えた。









                        
今日も最後までお読み戴きありがとうございました。





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上記の内容は、2012/02/29当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

大岡越前

最終更新日: 2012/02/27






おはようございます。







昨日、ブログセミナーを更新しようとパソコン操作を始めたら・・・








ストライキを起こしてしまい言う事を聴いてもらえませんでした。






今日は大丈夫のようです。機嫌直したようです。(笑)







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さて、江戸時代の名奉行といえば、

 

 

 

大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)

 

 

 

月曜8時TBS系で水戸黄門と交互に放映をされていました。

 

 

 

  • 榊原伊織:竹脇無我

 

 

  • 雪絵:宇津宮雅代

 

 

 

このキャストでしたね。

 

 

 


テレビとは関係ないですが

 

 

 

『親心』の本質を見抜いた鮮やかな判決があったそうです。

 

 

 
ある男が妻を離縁した。

 

 


別に悪い所があったわけではない・・・。

 

 

 
好きな女ができたからである。

 

 


その後、かねて言い交わしていた女を後妻にめとった。

 

 



391150_205498566208158_100002440493858_446408_227435093_n.jpg                              びみょう~な関係・・・






離縁された前妻は、親元に帰ったが、

 

 

 

すでに妊娠しており、やがて女の子を産んだ。

 

 



十年ほどたったある日、後妻が、この子を見て、うらやましくなった。

 

 

 

 


『なんて器量の良い娘だろうか。しかも頭もいい。

 

 

 

             これならば、どこへ奉公に出しても役に立つ。』

 

 

 

早速、 『この娘を引き取りたい。』 と、前妻の元へ交渉に来た。

 

 


断じて承服できる話ではない。

 

 


前妻と後妻は激しく言い争い、ついに、奉行所へ訴えることになった。

 

 

 

 

 

 383853_164739146961820_100002772074335_163382_1468097698_n.jpg               こんな感じの娘さん・・・??(汗) 

 

 







おかしなことに、この時、二人とも、

 

 

 


『この子を産んだのは、私に間違いありません。私が実の母です。』

 

 

 
と言い張るのである。

 

 

 


前妻は言う。

 

 

 
『離縁されたあとに、里に帰り、確かに私が産んで育てた子です。』

 

 

 


また、後妻は言う。

 

 

 
『私が産んだあと、子供の養育を前妻に依頼したのです。

 

 

 

               預けた子供を返してもらいたいだけです。』

 

 

 


どちらが本当の母親なのか。

 

 


物的証拠は何もない。

 

 

 


二人の言い争いは果てしなく続く。

 

 

 
さすがの大岡忠相も、裁きかねているかに見えた。

 

 

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やがて奉行は、意外なことを言った。

 

 


『そこまで言うならしかたがない。

 

 

 

二人の真ん中に、子供を置いて、双方から左右の手を引っ張りなさい。

 

 

 

勝ったほうに、その子を与えよう。』

 

 

 

 

 

 


前妻と後妻が、子供の手を引き始めた。

 

 


真ん中に置かれた娘は、

 

 


『痛いよう!』

 

 

 


と大粒の涙を流して泣き出した。

 

 


その瞬間、前妻は、ハッと驚いて手を放した

 

 

 


最後まで、子供の手を引き続けた後妻は、

 

 


『私の勝ちだわ。この子は私のものよ。』 と喜んだ。

 

 


すかさず、大岡忠相、 『待て待て、そこの女。控えよ。』と大喝した。

 

 

 

 

 

 
『おまえこそ、ニセモノだ。

 

 

 

誠の母ならば、わが子が苦しんでいる姿を見ておれるはずがない。

 

 


子供の涙は、胸が張り裂けるほどの苦しみを親に与えるものだ。

 

 

 

前妻は母だからこそ、とっさに手を放したのだ。

 

 

 
おまえは他人だから、

 

 

 

子供の苦しみより勝負のことしか頭になかったのだ。』

 

 


奉行に、にらみつけられ、

 

 

 

後妻は、ただひれ伏すばかりであった。

 

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一切の悪だくみを白状し娘は、晴れて、

 

 

 

本当の母親の元へ戻ったのであった。

 

 

 

 めだたし、めでたし!

 

 

 



ここで梅田守が登場し・・・

 

 

 

忠相。見事じゃ!一件落着!!








                          
 今日も最後までお読み戴きありがとうございました。

                                    一部愛読メルマガより



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上記の内容は、2012/02/27当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

本村洋さんの上司の言葉

最終更新日: 2012/02/25





おはようございます。





今朝の南相馬は5時過ぎから雪が降り始めました。








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今年は寒いし雪が多い年です。






地球温暖化が取沙汰されて久しいけど、氷河期の入口という説も・・・








さて今日は、









光市母子殺害事件で妻と子供を失った本村洋さんの上司の言葉をお伝えします。









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                         新日鐵で働く本村さん

 

 



本村洋さんは、一時の気の迷いから勤務先の新日鐵を

 

 

 

退社しようと思い立ち辞表を書いた時に

 

 

 

上司は次のように述べたという。

 

 

 

 


君はこの職場にいる限り私の部下だ。

 

 

 

そのあいだ、私は君を守ることができる

 

 

 

裁判はいつかは終わる。

 

 

 

一生かかるわけじゃない。

 

 

 

その先をどうやって生きていくんだ。

 

 

 

君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる

 

 

 

新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある

 

 

 

勤務地も色々ある。

 

 

 

亡くなった奥さんも、ご両親も、

 

 

 

君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを

 

 

 

望んでおられるじゃないのか

 

 

 

 

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また、次のようにも

 

 


『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。

 

 

 

君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。

 

 

 

でも、君は社会人として発言していってくれ

 

 

 

労働も納税もしない人間が社会に訴えても、

 

 

 

それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい

 

 

 

 

 

 

凄い言葉だ・・・

 

 


人は会されるべき人には、必ず会される。

 

 

 

               それが一瞬早くもなく、遅くもなく。」

 

 

 

この言葉を地で行くような上司と部下の出会いです。

 

 

 

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私たちは、メディアからしか彼の情報は入って来ない。

 

 

 

本村さんを観て様々な想いを持つ我々だが、

 

 

 

常に理路整然と説得力のある、解りやすい言葉で訴え続けた、

 

 

 

たった一人の青年が日本の司法の在り方まで変えてしまった

 

 

 

本村さんを支えたのは、亡き妻と幼子は勿論だが、

 

 

 

こんな素晴らしい上司の存在があったんですね。

 

 

 

例えが適切じゃないかも知れないが、太平洋戦争末期の映画






渡辺謙が演じた「硫黄島からの手紙」


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https://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99

 



 小笠原方面最高指揮官・栗林忠道陸軍中将
のような上司に思える。

 

 

 


 

会社のキャパとは、このような上司の存在なんだと思い知らされた・・・









                                  今日も最後までお読み戴きありがとうございました。






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上記の内容は、2012/02/25当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。