原町日の出町店 店舗ブログ

未来質問

最終更新日: 2014/02/28



おはようございます。








2月28日







今日は、我社の決算日です。










そして、









待ちに待った新しい社屋の引渡し









新社屋.jpg                   新しい社屋


鹿島店.jpg                    旧社屋






先ず、社員の皆さんに心からの感謝









お客様に感謝











関わりのある方々へありかとう。













さあ、今日から新たなスタートです。      顔晴ります















さて、夢を描こうと思ってもなかなか、パッと出てこない人も多いと思います。

 

 










でも未来質問をすれば、意外とスイスイ出てきて、

 

 

 

 

 

 

 

夢やイメージが広がること間違いないですよ。

 

 

 

 

 


なんだ?「未来質問」って?

 

 

 

 

 

 



二人一組になって、













例えば、10年ぶりに再会すると想定します。

 

 

 

再会.jpg 

 

 



しかもその10年後は、今日から、次々と良いことがどんどん起こり、

 

 

 

 

 

 

すべてが順調にいっているとします。

 

 

 

 

 


そこから、相手の方に

 

 

 

 

 


久しぶりだね。今、何しているの?」

 

 

 

 

 


と質問され、そこから浮かんでくる質問に

 

 

 

 

 

 

 

0.2秒以内にどんどん浮かんでくるイメージを言葉にする・・・

 

 

 

 

 

 

 

というものです。

 

 

 

 

 

 


その時に大事なことは、既に実現していることですから、

 

 

 

 

 

 

 

現在形、過去形で語るということです。

 

 

 

 

 

 

ここがとっても大切なんです。

 

 

 

 

 

 


実際にこれを行うと次々にイメージが広がり、夢も広がってきますよ。

 

 

 

 

 

 

 ミステリーショッパー.jpg 

 

 

 

 


気の合った人とちょっと試してみてください。






                              今日も最後までお読み戴きありがとうございました。


コメントを戴けると励みになります。 

mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp



上記の内容は、2014/02/28当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

ぼくがいるよ

最終更新日: 2014/02/24



おはようございます。






今日は、NPO法人日本語検定委員会主催の第5回「日本語大賞」





https://www.jiji.com/jc/p?id=20140223175409-0016773520&n=1






小学生の部で文部科学大臣賞を受賞した小学校4年生










“森田 悠生”さん(千葉県)の作文をご紹介させて頂きます。



日本語大賞.jpg





【ぼくがいるよ】









お母さんが帰ってくる!

 

 

 



一ヶ月近く入院生活を送っていたお母さんが戻ってくる。

 

 

 



お母さんが退院する日、ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、

 

 

 

 

 

 

寄り道もしないでいちもくさんに帰宅した。


 

 

 

 


久しぶりに会うお母さんとたくさん話がしたかった。

 

 

 

 



話したいことはたくさんあるんだ。

 

 

 

 


帰宅すると、台所から香ばしいにおいがしてきた。


 

 

 


ぼくの大好きなホットケーキのはちみつがけだ。


 

 

 

 


台所にはお母さんが立っていた。


 

 

 

 


少しやせたようだけど、

 

 

 

 

 

 

思っていたよりも元気そうでぼくはとりあえず安心した。


 

 381196_211055085648414_100002317723121_503835_1021588264_n.jpg 

 


「おかえり」いつものお母さんの声がその日だけは特別に聞こえた。

 

 

 

 

 


そして、はちみつがたっぷりかかったホットケーキがとてもおいしかった。

 

 

 ホットケーキ.bmp 



お母さんが入院する前と同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。


 

 

 

 


お母さんの様子が以前とちがうことに気が付いたのは

 

 

 

 

 

 

それから数日経ってからのことだ。


 

 

 

 


みそ汁の味が急にこくなったり、

 

 

 

 

 

 

そうではなかったりしたのでぼくは何気なく

 

 

 

 

 


なんだか最近、みそ汁の味がヘン。」と言ってしまった。

 

 

 

 

 



すると、お母さんはとても困った顔をした。

 

 

 

 



実はね、手術をしてから味と匂いが全くないの。

 

 

 

 

 

 

だから、料理の味付けがてきとうになっちゃって・・・」


 

 

 

 


お母さんは深いため息をついた。

 

 

 

 



そう言われてみると最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。


 

 

 

 


作るおかずも特別な味付けが必要ないものばかりだ。

 

 

 

 

 



しだいにお母さんの手作りの料理が姿を消していった。


 

 

 

 


かわりに近くのスーパーのお惣菜が食卓に並ぶようになった。

 

 

 

 



そんな状況を見てぼくは一つの提案を思いついた。


 

 

 

 


ぼくは料理が出来ないけれどお母さんの味は覚えている。

 

 

 

 



だから、料理はお母さんがして味付けはぼくがする。


 

 

 ごはん.jpg 


共同で料理を作ることを思いついた。


 

 

 

 

 


ぼくが味付けをするから、一緒に料理を作ろうよ。」


 

 

 

 

 


ぼくからの提案にお母さんは少しおどろいていたけど、

 

 

 

 

 

 

すぐに賛成してくれた。


 

 

 

 

 


「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」お母さんが言った。


 

 

 

 


ぶりの照り焼きは家族の好物だ。


 

 

 

 


フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。

 

 

 

 



その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。

 

 

 

 



そこまではお母さんの仕事。

 

 

 

 

 



タレを煮詰めて家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。


 

 

 

 

 


だいぶ照りが出てきたところでタレの味を確かめる。


 

 

 ぶりの照り焼き.jpg 


「いつもの味だ。」


 

 

 

 


ぼくがそう言うと久しぶりにお母さんに笑顔が戻った。


 

 

 

 


その日からお母さんとぼくの共同作業が始まった。


 

 

 

 


お父さんも時々加わった。

 

 

 

 



ぼくは朝、一時間早起きをして一緒に食事を作るようになった。

 

 

 

 



お母さんは家族をあまり頼りにしないで一人でなんでもやってしまう。

 

 

 

 



でもね、お母さん、ぼくがいるよ。


 

 

 

 


ぼくはお母さんが思っているよりもずっとしっかりしている。


 

 

 

 


だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。

 

 

 



ぼくがいるよ。

 

 374705_198978243517761_100002167597225_420613_524606377_n.jpg 

 


いつか、お母さんの病気が治ることを祈りながら心の中でそうくり返した。 







                                           今日も最後までお読み戴きありがとうございました。


コメントを戴けると励みになります。 

mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp



上記の内容は、2014/02/24当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

鷹山公に学ぶ 続編

最終更新日: 2014/02/23





おはようございます。







九州宮崎高鍋藩秋月家から9歳で上杉家に養子に入り







江戸の藩邸で帝王学を学びます。



 

 

 


17歳で米沢藩主となりましました。











NHK大河ドラマでやっていた天地人の中で出てきた



 

 

 天地人.jpg

上杉 景勝から数えて9代目ということになります。


 

 

 



当時、米沢藩は容易ならざる藩財政破綻の危機にありそれを立直す為に


 

 

 

 



鷹山(治憲)は、藩主となった17歳から2年間江戸藩邸で









様々な研究勉強をしながら倹約の実験に取組ました。

 

 

 

 

 

 ダダ93234_n.jpg

 


19歳、満を持して、いよいよ米沢に入国する事を決意します。


 

 

 



時は旧暦10月(この年はうるう年で今だと1月だそうです。)



 

 

 


江戸から福島を抜け板谷峠からの入国


 

 

 

 



その道すがら、

 

 

 

 

 

 

 

あまりの荒廃と通にいる人の冷ややかな目に深い絶望感に襲われ、


 

 

 



火鉢の灰をしばらく見つめていた。



 

 

 

 


やがて鷹山はキセルを取って灰の中をかきまわしてみた。



 

 

 


すると、小さな火の残りが見つかった。

 

 

 

 火種.bmp 

 

 

その火の残りを見つめているうちに、



 

 

 

 


鷹山は、これだ、と思った。








それは、この残った火が火種になるだろうと思ったからだ。



 

 

 

 


そして、火種は新しい火をおこす。

 

 

 

 

 

 

その新しい火はさらに火をおこす。



 

 

 


そのくりかえしが、この国でもできないだろうか、そう思った。

 

 

 

 





僅かな家臣を伴っていた鷹山は


 

 

 



その火種は誰あろう、まずここにいるおまえたちだと気がついたのだ。




 

 

 

……おまえたちは火種になる。

 

 

 

 

 

 

 

そして、多くの新しい炭に火をつける。



 

 

 


新しい炭というのは、藩士であり藩民のことだ。


 

 

 

 



それらの中には濡れている炭もあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

湿っている炭もあろう。


 

 

 



火のつくのを待ちかねている炭もあろう。

 

 

 

 

 

 

 

いちよう一様ではあるまい。



 

 

 



ましてや、私の改革に反対する炭も沢山あろう。



 

 



そういう炭たちは、いくら火吹竹で吹いても、恐らく火はつくまい。



 

 

 



しかし、その中にも、きっとひとつやふたつ、

 

 

 

 

 

 

火がついてくれる炭があろう。


 

 

 



私は今、それを信ずる以外にないのだ。



 

 

 

 


そのためには、まず、おまえたちが火種になってくれ。


 

 

 

 



そしておまえたちの胸に燃えているその火を、

 

 

 

 

 

 

 

どうか心ある藩士の胸に移してほしい。



 

 

 

 


城に着いてからそれぞれが持ち場に散って行くであろう。


 

 

 



その持ち場持ち揚で、待っている藩士たちの胸に火をつけてほしい。


 

 

 

 



その火が、きっと改革の火を大きく燃え立たせるであろう。


 

 火鉢.bmp 



私はそう思って、

 

 

 

 

 

 

 

今、駕籠の中で一所懸命この小さな火を

 

 

 

 

 

 

大きな新しい炭に吹きつけていたのだ。(灰の国で)



 

 519C9SMCXFL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA240_SH20_OU09_.jpg 




童門 冬二著 「上杉鷹山の経営学」より


とっても、面白い本でした。今のご時世にぴったりの内容です。


きっと貴方の会社の戦略に役に立つはず・・・










この入国間際の鷹山の気付きと命懸けで一緒にやろう



 

 

 

 


という腹心に対する信頼を心から伝えることで

 

 

 

 

 

 

 

供の家臣たちの心を鷲掴みにしました。








                       今日も最後までお読み戴きありがとうございました。


コメントを戴けると励みになります。 

mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp




上記の内容は、2014/02/23当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

鷹山公に学ぶ

最終更新日: 2014/02/22




おはようございます。









日産自動車のカルロスゴーン氏や










キャノンの御手洗氏、横浜市長の林文子さん、京セラの稲盛氏等が、







稲盛.bmp




組織風土の改革を実施してきた名経営者の例としてあげられますが、











今を遡る250年以上前の江戸時代にも、









組織風土の改革を実践した日本人がいました。











その人の名は、“上杉鷹山です。









上杉鷹山.jpg





何度かこのブログのなかにも登場してもらっています。













昨日、ある業者の営業マンの実家が山形県米沢市とのことで










鷹山公の話で盛り上がりました。












私が歴史上の人物で最も尊敬して目指す人です。







 
 




アメリカ史上最年少の大統領ジョン・F・ケネディは、

 

 

 

 ジョン・F・ケネディ.jpg 

 

 

大統領に就任した際、日本人記者団の




 

 

 あなたが最も尊敬する日本人は誰ですかという質問に答えて、













即座に、「それはウエスギヨウザンです」と答えたという。















ところが残念なことに、日本人記者団の方が上杉鷹山という人物を知らず、









「ウエスギヨウザンとは一体誰だ」と互いに聞きあったというエピソードがあります。











恐らく上杉謙信の倅だろう???だったそうです。






316626_179686715451918_100002317723121_417950_850567041_n.jpg





ケネディは、日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、







民主的に政治を行い、そして「政治家は潔癖でなければならない」といって、










その日常生活を、文字通り一汁一菜、木綿の着物で通した鷹山の姿に、











自分の理想とする政治家の姿をみたのでした。





 
 





上杉鷹山が、藩主として米澤藩の藩財政改革を行ったのは、










江戸時代における不況の時期で、江戸時代の三大改革のひとつである











“寛政の改革”が行われた寛政の時代です。





 






寛政3年(1791)上杉鷹山は、二度目の改革を行った。









彼は単にバランスシートの貸方借方の赤字を克服しただけでなく、









むしろ、人の心の赤字を克服した。






感謝じいばあ.jpg





そのために、藩の財政を再建するために、













絹織物の生産など新たな産業の振興策をとりながら










同時に「そういうことが行えるのも結局は人が決め手だ!」











という観点に立って、













「人づくり政策」をもうひとつの重要な柱としました。


計画通り.jpg

 


心の赤字を克服するということは、他人に対してもっと関心を持ち、










弱い人や苦しんでいる人間に優しさやいたわりや思いやりを注ぐことである。











「人間というのは、もともとその性は善である。しかしその善が表に現れないのは、













容れ物である環境が劣悪であるからである。














従って、自分の行う経営改革としては、









そのような基盤整備をしないわけにはいかない」











という信念をもって改革を推し進めました。












具体的な改革は、明日のブログで・・・













                    今日も最後までお読み戴きありがとうございました。


コメントを戴けると励みになります。 

mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp






上記の内容は、2014/02/22当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。

褒め方

最終更新日: 2014/02/21

おはようございます。








女子フィギアフリー真央ちゃん見事なまでの会心の演技










素晴らしかった!




真央の涙.jpg





真央ちゃん自身も感謝・恩返しの言葉と共に清々しい表情でしたね。












感動をありがとう!









さて、今日は











水戸黄門でお馴染みの水戸藩第二代藩主“徳川光圀公”の言葉を

















ご紹介させて頂きます。

 

 

  

 

たいしたこともない過失や、虚実の不確かなことは、


 

 

 

 


主君や上司の耳に入れてはならない。


 

 

 

 


しかし、


 

 

 

 


同僚の手柄や美行は、


 

 

 

 


その詳しい事実を知らなくとも、早く知らせるべきである


 

 

 

 


さすがは黄門様!

 

 

 黄門さまついていけません.jpg


誰かが良いことをしていたら、率先して報告しなさいと!


 

 

 

 


このトップの在り方が、良い組織を創っていくのでしょう


 

 

 

 


逆に、誰かのことをチクリまくっている組織は、

 

 

 

 

 

 

居心地が悪そうですからね

 

 

 

 徳川光圀 東野.bmp


 


例えば子供がテストで100点をとって帰ってきたとして、

 

 

 



なんて言いますか?


 

 

 


大きく分けて2通りの褒め方があるそうです。


 

 

 

 


1つは、結果を褒めること。(偉いわね~、凄い点数だよ。)


 

 

 

 


もう1つは、プロセスを褒めること。

 

 

 

 

 

 

(たくさん努力してたからね^^偉いねぇ~)


 

 

 

 


結果を褒められて育った子は、結果を維持しようと、

 

 

 

 

 

 

現状維持の傾向にあるそうです。

 

 

 

 

(失敗しないように、無難に進む)


 

 

 徳川光圀 紋所.jpg 


一方、プロセスを褒められて育った子は、

 

 

 

 

 

 

努力することが楽しくなっていくそうです。(果敢に挑戦する)


 

 

 

 

 


結果的には、プロセスを褒められて育った子の方が、

 

 

 

 

 

 

 

学力向上する傾向にあるようです。


 

 

 

 


もちろん結果も大切ですが、それをしようと思えた心とか、

 

 

 

 

 

 

そこに行き着く過程、プロセス、

 

 

 

 

 

 

そういったものを見逃さないように、

 

 

 

 

 

 

しっかり褒めていきたいですね。

 

 

 真剣しらは・・・.jpg 




今までやって来た所を褒められたら、嬉しいですもんね。

 





                       今日も最後までお読み戴きありがとうございました。


コメントを戴けると励みになります。 

mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp




上記の内容は、2014/02/21当時のものです。現在とは異なっている場合がございますので、ご注意ください。