最終更新日: 2014/10/12
おはようございます。
6日から10日までの5日間
殺人的スケジュールをこなして参りました。
流石に目の下にクマが出来ています(笑)
さて、一昨日10月10日は、1964年に行われた東京五輪の開幕から
50周年という記念の日でした。
なぜ10月10日だったかご存知ですか?
当時、アジアで初めてのオリンピック開催。
戦後、僅か19年しか経っていない敗戦国日本。
並々ならぬ決意があったことは言うまでもありません。
日本国の威信を賭けたオリンピックの開会式は、
晴天の下で開催したい。
との強い想いから、過去何年も遡って10月の天気を調べた結果、
過去のデーターから10月10日が一番に晴天が多い日だったそう。
それで10月10日に決まりました。
一昨日のニュースを観ていたら、50年前の東京五輪で使われた
「聖火台」のお話がありました。
これもトリビアで、とっても良い話なので紹介します。
東京五輪に使われた国立競技場の聖火台を手がけたのは、
鈴木萬之助さんと、息子さんであり弟子でもある
鈴木文吾さんの親子でした。
聖火台の完成は、3カ月以内でという条件。
昼も夜も関係なく製作作業は行われ、
鈴木さん親子は製作開始から2カ月後に
「あとは1400度の鋳鉄を鋳型に流し込む」という
山場に差し掛かっていました。
1400度の鋳鉄をゆっくりと鋳型に流し込んでいく父、萬之助さん。
しかしそのとき、信じられないことが起こってしまうのです!
突然、鋳型が爆発し、1400度の鋳鉄が飛び出してしまいました。
けが人こそいなかったものの、父、萬之助さん・・・
失敗のショックと過労から床に伏せてしまい、
8日後、帰らぬ人となりました。
つづく・・・
今日も最後までお読み戴きありがとうございました。
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