最終更新日: 2018/01/19
おはようございます。
皆さんは、盛田昭夫さんをご存じですか?
そうです。井深 大(いぶか まさる)さんと共にSONYを創業した方です。
Hondaの創業者「本田 宗一郎」は、井深さんを
「井深の兄貴」と慕っていたのは、有名な話・・・。
「50年前には、あなたの会社のブランドも、
いまのソニーと同様、誰ひとり知らなかったに違いない。
我々は将来のために、いまや50年の第一歩を踏み出すのだ。
50年後にはソニーもあなたの会社同様、必ず有名にしてみせる。」
『50年後には有名なブランドになってみせる』
これぞ世界のソニーの原点の一つを示すエピソードです。
当時、アメリカの有名な時計メーカーから、
ソニーのラジオをその時計メーカー名で販売させてくれるなら
10万台発注すると言われ断ったときの言葉です。
もし、私たちが同じ立場で交渉に臨んでいたとしたならば、
皆さんは断ることができますか?
正直、私は断る勇気はありません。
逆に「10万台の受注を戴いた!」と、大喜びしていたかも・・・
よほどの自信や確信があったのならばいざ知らず、
盛田さんがこの言葉を発したときにはプライドや見栄で
このように言ったんじゃなく、
自社を信頼する誇り信念が強かったんでしょう。
それは執念だったかもしれません。
一見、無謀な賭けがサクセスストーリーになっていくには、
必ずそうなるという確信よりも「夢」。
誇り信念や執念の存在の方が大事なんでしょうね。
それまでに実例は、ないですからね。
人マネをせず、新しいことに一歩を踏み出し、
新たな市場を切り拓いてきた企業戦士に学びたいですね。
今日も最後までお読み戴きありがとうございました。
コメントを戴けると励みになります。
mailto:mamoru.pfs23@honda-auto.ne.jp