2019/10/21
神無月ですね。
全国各地で祭が催されています。
八幡浜の祭も無事18日、19日に行われました。
当社の社名である「八西ホンダ」は八幡浜市と西宇和郡の八西地域の八西とホンダを掛け合わせたものです。
この八西地域は江戸時代に宇和島伊達藩の領地でしたので、仙台伊達藩から多分に文化の影響を受けています。
五ツ鹿踊りや牛鬼がまさにそれですね。
八幡浜の各地区に残る唐獅子もこの地域が誇る伝統文化です。
私の5代前の先祖も宇和島伊達藩の役人で、八幡浜市日土にあった大洲藩との藩境を守る関所の責任者でした。
まったくの余談です・・・。
さらにさかのぼること奈良時代。
西暦717年(養老元年)には八幡浜の地名の由来となる八幡神社が御鎮座されました。
全国約8000社ある八幡神社で4番目に長い歴史を持つというから凄いことです。
2年前に御鎮座1300年を迎えられたので、この地域では広く知られていますね。
そして博学の同級生から昨日教えてもらったのですが、実はこの八幡浜の八幡神社は西暦755年から12年間、全国の八幡神社の総本山であったそうです。
これは驚きの新事実。
どうやら東大寺建立の際に奈良で不正が行われ、それにお怒りになった八幡大神が総本山である宇佐八幡宮から八幡浜の八幡神社に12年間遷座された記録が残っているそうです。
これは八幡浜市民でもあまり知られていない事実で、この歴史が広く市内外に伝われば八幡神社の格式や市民の愛着がより一層深まるのではないかと思います。
近年、八西地域も少子高齢化や流出による人口減少が著しく、経済はおろか地域の伝統文化を守ることも困難になってきています。
その中で地域に住む人間が可能な限り文化を継承しなければならず、私も先祖代々から八幡浜に根付いている人間ですし、特に八幡神社の真下で生まれ育った浜っ子なので、この土地に愛着があります。
40歳まで在籍していました八幡浜青年会議所(八幡浜JC)時代には八幡神社の御神輿の担ぎ手として約10年ほど奉仕させていただきました。
今年の祭当日は新型フリードの発売の最初の週末ということで仕事に専念させていただきましたが、事前の御神輿庫出しと童子たちの四ツ太鼓の練習と準備を奉仕させていただきました。
今朝は出勤前に御神輿の庫入れをご奉仕。
清々しい気持ちで出勤できました。
人口減少により何をするにしても1人1人の負荷もその分大きくなっています。
しかし1300年以上もの間、地域の人たちの手によって継承された地域の祭。
この時代にこの地域に生きる人間として、またこの地域で生業をさせていただいている企業として、これからも微力ながらも忘己利他の精神でこの地域と未来の人たちに御奉仕していきたいと思います。