桑間店 営業の清水です。
今日は僕がずっと読み続けているHondaCars 南相馬 原町日の出店のブログをそのままシェアさせていただきます。
東日本大震災がありその傷も癒えていない中、福島県で一生懸命頑張っておられる姿に心打たれ、募金やFaceBookで原発や福島の現状をシェアするぐらいしかできていない自分を恥ずかしく思い・・・。
今回は僕も大好きなHondaイズムのお話しだったのでこの熱い本田宗一郎の想い(今回は藤沢武夫)を皆さんにご紹介したくそのままコピーさせていただきました。(梅田社長には了解をいただいております。)
下記URLはHondaCars 南相馬さんの店舗ブログです。気になった方はぜひ読んでみてください。
どう生きる!?と考えさせられることが多いですよ(b・ω・d)
うちのブログは遊びのことばかりですが( ̄▼ ̄;)
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今日は、 ホンダ販売会社の元社長「大河滋氏」の実話を紹介します。
大河氏は昭和42年(1967年)にホンダ入社、
創業者の本田宗一郎氏、藤沢武夫氏から薫陶を受けました。
(大河氏はその経験から藤沢武夫氏に関する本を出版しています)
大河氏が30代、昭和51年のこと、名古屋支店に配属されます。
この年、「大変な被害が予測される台風が近づいてきました」。
大河氏は部下を連れて販売店の救援へ。
暴風雨、道路は冠水。台風の驚異が販売店を襲います。
そんな中、販売店になんとか到着すると、
輸送者が、ホンダの委託展示している車を積み込んでいました。
雨は横殴り。大河さんは怒鳴った。
「新車は全部下ろせーっ!」
雨風のなかやっと積んだ運転手は納得がいかない。
「おえは誰だーっ!」
「名古屋支店の大河だ。業務命令である。新車は全部下ろせ。
そして、この店で預かっているお客様の車を積め」
「何だとーっ!」と運転手。
「新車の百台や二百台、水中に没したところでホンダは潰れん。
しかし、たった一人のお客様は、新車の百台、
二百台には替えることができない、大切な方なんだ!」
そう言って、預かっていたお客さんの車を積み込ませ、
ホンダが委託展示していた車は全て水没したそうです。
それから4,5日後のこと、販売店の社長とお客様が
大河氏のもとを訪れこう言ったそうです。
「今後もずっとホンダの車に乗ります。
何とお礼を言ってよいかわかりません」
実はこの指示を出すことができたのは、
大河さんが過去に苦い経験をしたことがあるからでした。
昭和43年の十勝沖地震の際、
仙台支店に勤務していた大河さんは津波警報が出たので、
輸送車を使って販売店にある展示車をすべて引き揚げたのです。
すると、所長が、
「バカヤロウッ。てめえ、それでもホンダの人間か」
「こっちは命懸けで車を引き揚げてきたのに、
何ですか、その言い方は」
と大河氏は喰ってかかった。
おまえが守らなきゃいかんのは、
新車ではなくてお客様の車だ、バカヤロウッ!」
名古屋での台風の件が落ち着くと、このことを思い出し、
仙台支店時代の所長へ名古屋での出来事を話して
「今度は判断を間違えませんでした。あの時はありがとうございました!」
と電話をした。
すると、所長が言った。
「あのな、大河。昭和三十五年にチリ地震が起きて、
太平洋に津波が襲来した時、
俺の管轄だったエリアが壊滅的な被害を受けたんだ。
その時におまえと同じことやって、
藤沢(創業時の副社長)さんに怒られたんだ。
『会社の財産を失うことは非常に心が痛む。
しかし会社にとって最大の痛手は、
会社の資産を失うことではなく、
お客様を失うことだ!なぜそんなことがわからんのか!』
と言って怒られたんだよ」
『致知』(2010年2月号)から
今ではHonda社内でも、この記事にあるようなHondaイズム
について継承される機会が少なくなっているように思います。
以上がブログからそのままいただいた文面。
僕もまっすぐにお客様に顔を向けてまっすぐ仕事をすることを心がけたいと思いました。